寿都町
2010-3-19 18:58 投稿者:
nishin
寿都町はニシン漁によって栄えた町であり、記録上に地名がでてくるのは、寛永九年(一六六九年)、シャクシャインの乱の記録の中に、「このころスッツ、オタスツ、イソヤは商場所ができていて、交易が盛んだった」と記されている。
豊富なニシンを背景に、集落を形成していたとみられ、これが寿都町の始まりとしている。
明治二年には、寿都、歌棄、磯谷それぞれの商場所は、場所請負人によってしきられ、漁具・漁船の改良による生産拡大のほか、道路の開削や土地の開発、漁港、船澗、袋澗の改良、子弟の教育など地域に大きく貢献し、千石場所として確固たる地位を築いている。
このようにニシンがもたらした遺産は、歴史や芸術文化、食文化面など各地に確かな足跡を残している。
後志西海岸地方の玄関口としてもっとも早くから開け、「北海道建網(行成網)漁業発祥之地」として十七統の大網を有し、明治三十六年には積丹、小樽に次いで三番目の最大漁獲高を記録している。
当時の面影として鰊御殿や佐藤家、土蔵などが文化遺産として残されており、ニシン全盛期を追想し、この文化を後世に引き継ぐとともに、地域の活性化に繋げる証として、この標柱が設置されました。
忍路高島及びもないが
せめて歌棄・磯谷まで
設置月日 平成二十年四月吉日
設置者 寿都町観光協会