郷土芸能

江差沖揚音頭(江差町)

江差に繁栄をもたらした「にしん漁」の厳しい労働の中から、沖揚げ音頭は生まれました。にしん網をおこし(切声唄)大タモで汲み、舟にすくいあげ(沖揚げ唄=ソーラン節)網に産卵した数の子を叩き落とし(子叩き唄=盆踊りのいやさか音頭)、帰り舟(舟こぎ唄)へと続く。

江差餅つき囃子(江差町)

保存会によって伝承されるこの囃子は、鰊漁華やかなりし頃の商家や親方衆一般に行われた暮れの餅つき、慶事における餅つきの様子を伝えているもので、笛や太鼓、唄に合わせて若い衆が十数人で仕草もおかしく餅をつくという、ユーモラスでダイナミックなショーである。その後半では合取手がその中で曲芸も披露する。
昔の江差では、年の瀬が近づくと、何処の家でも大量の餅をついたものです。それが正月行事のスタートでした。親方衆は一軒で五俵、十俵と餅をつくのが普通でした。その頃合いを見計らって十数人の若い漁師が一団となって踊りながら親方衆の家に押しかけては餅をつき廻り、祝儀をせしめるというものでした。「にしん漁」繁栄の往時を偲ばせる威勢のよさで、祝い行事に多く出演し、人気を高めています。

五勝手の鮫踊り(江差町)

昔は漁師にとってサメはやっかいな存在でした。網は食い破り、網についたにしんは食い荒らすなど、実に手におえない海のギャングでした。そこで、漁師達は手に手に棒を持ち網の中に入ったサメをなぐり殺したそうですが、その様は海面が血で真っ赤に染まったと云う残忍なものであったそうです。その霊をなぐさめる意味でサメがのたうちまわる様子を踊りに脚色して千蘭盆の供養踊りとして伝承されています。

松前沖揚げ音頭(松前町)

にしんはつい最近まで北海道を代表する魚でしたが、幕末の頃から大量に捕獲できる漁法が開発され、たくさんの漁夫が必要になりました。厳しい自然と苦しい労働の中から大漁の喜びを歌いあげた勇壮活発で景気の良い作業唄、それが沖揚げ音頭です。松前沖揚げ音頭保存会では「船漕ぎ唄」「網起し唄」「切り声」「ソーラン節(沖揚げ音頭)」「オーホイ節」「子叩き音頭」の六つに分けて保存伝承しています。

沖揚げ音頭(石狩市浜益区)

石狩市浜益小学校では、鰊漁の様子や、その当時歌われた労働歌「沖揚げ音頭」を体験することによって、消えゆく運命にあった地域の伝統文化を考える学習をしています。地域のイベント(浜益ふるさと祭り:例年9月)で、「沖揚げ音頭保存会」に方々と共に、「沖揚げ音頭」に合わせて鰊漁の様子を、全校児童で再現しています。

子はたき音頭(石狩市浜益区)

網に付いた、鰊の子っこ、つまり数の子を払い落とす作業のことで、それが大変辛い作業で、その大変さを忘れるために歌った歌が「子はたき音頭」で、踊り子の振りはすべてその時の作業を表現したものです。地域の方の語りを浜益小学校の先生が民舞として創作し、途中、何度もくじけそうになりましたが、沖揚げ音頭同様、ふるさと祭りを盛り上げたいと十数年頑張り続けてきました。

鬼鹿松前神楽(小平町)

明治34年、伝承者であった瀧川弁蔵氏により小樽朝里稲荷神社から伝えられたとされ、松前神楽がさかんであった道南福島町あたりから出稼ぎに来ていた漁夫達によって演じられたのが始まりとされている。鰊漁華やかな頃は、鰊場の親方に招待され盛大な正月神楽や門祓いが行われていた。鰊が獲れなくなると、一時は神楽も衰えたが、伝統文化を残そうと気運が高まり昭和50年に保存会が結成され、平成元年に小平無形文化財に指定された。