並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 ![]() | | |
岡田番屋 ![]() | |
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住所 | 北海道苫前郡苫前町字苫前27番地 |
せたな町(瀬棚区) ![]() | |
![]() | ここ瀬棚も「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつであります。 明治二十年前後、瀬棚の「にしん」の全盛時代には、春の漁期になると若者の大半が漁場雇となり、また、他の町から瀬棚の漁場へ出稼者が大勢やってきて鰊の沖揚げなどの仕事をしました。 この頃、「にしん」を追うように瀬棚への移住者も多くなり、鰊漁も盛んであったため、町はたいへん活気にあふれていました。 「にしんルネサンス事業」は、「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結び「にしん街道」の旅道中を楽しませてくれます。 松前を始点とし、北の彼方... |
住所 | 久遠郡せたな町瀬棚区三本杉96番地 |
江差町(江差地方合同庁舎横) ![]() | |
![]() | 海道日本海沿岸においては、北前船の交易によって大きく繁栄し、十八世紀半ばのにしん漁最盛期には多くの廻船問屋や土蔵が連ねて建ち並び、「江差の五月は江戸にもない」と言われ、歴史と今に伝わる数々の郷土民芸や建造物をこの地にもたらしました。 そこで、今一度、日本海沿岸の市町村を支えた「にしん」に歴史・文化等多方面からもスポットをあて、新たな産業や観光資源の創出を目的に、各町で「にしんルネサンス事業」が展開されております。 このため、「にしん」に関係した日本海沿岸の市町村全体に「にしん街道」の標柱を設置することに... |
住所 | 檜山郡江差町字姥神町167番地1 |
鰊御殿とまり ![]() | |
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住所 | 北海道古宇郡泊村大字泊村59−1 |
旧余市福原漁場 ![]() | |
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住所 | 北海道余市郡余市町浜中町150 |
八雲町 ![]() | |
![]() | ここ八雲町熊石は、「にしん漁」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつです。道南の町のなかでも漁獲量が多く「にしんの万石場所」と言われいました。 一八四五年四月、漁の最盛期に熊石を訪れた探険家「松浦武四郎」が、漁家が連立し、船の帆柱やにしんを干す竿が立ち並び、沖と岸を行き交う船の人たちのはやし声が村中に響くという活況は「真の宇宙の壮観なり」と西蝦夷日誌に記載しています。江差を過ぎての蝦夷地境界でこのような盛況を見て驚いての表現と考えられています。 熊石の地名もアイヌ語で「クマウシ」、「魚(にしん)を乾かすた... |
住所 | 二海郡八雲町熊石鮎川町50番1 |
旧花田家番屋 ![]() | |
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住所 | 留萌郡小平町字鬼鹿広富35番地の2 |
江差町(道の駅「江差」敷地内) ![]() | |
![]() | 海道日本海沿岸においては、北前船の交易によって大きく繁栄し、十八世紀半ばのにしん漁最盛期には多くの廻船問屋や土蔵が連ねて建ち並び、「江差の五月は江戸にもない」と言われ、歴史と今に伝わる数々の郷土民芸や建造物をこの地にもたらしました。 そこで、今一度、日本海沿岸の市町村を支えた「にしん」に歴史・文化等多方面からもスポットをあて、新たな産業や観光資源の創出を目的に、各町で「にしんルネサンス事業」が展開されております。 このため、「にしん」に関係した日本海沿岸の市町村全体に「にしん街道」の標柱を設置することに... |
住所 | 檜山郡江差町字尾山町1番地 |
石狩市(浜益中央公園内) ![]() | |
![]() | 浜益は、アイヌ語で、「ヘロカイリシ」(「にしんがたくさん獲れるところ」の意)と呼ばれていたほど、古来から「にしん」の漁場として知られていました。江戸時代後半には、「にしん」のシメカスが関西方面に運ばれ、木綿や菜種の栽培を支えました。 明治から大正時代は、浜益の「にしん漁業」の最盛期で、道内屈指の漁場として建網は百五十四を数えました。 しかし、昭和三十年を最後に「にしん」は突然姿を消し、当時の「にしん番屋」が「はまます郷土資料館」として、その名残をとどめているのみです。 近年、浜益をはじま、石狩湾沿岸では... |
住所 | 石狩市浜益区浜益630番地1 |
佐賀番屋 ![]() | |
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住所 | 留萌市礼受町 |