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島牧村 | |
ここ島牧は、江戸時代から明治末期まで「にしん漁」で栄えた北海道日本海沿岸のまちのひとつです。 鰊建網及び刺し網を使用し、漁期雇人(ヤン衆)も千九百人を超えるなど、「にしん漁」の好況は村の繁栄にも深く関わりました。 やがて、大正期に入ると「にしん漁」は衰退していきますが、この「島牧」は、地理的な関係から他の魚介藻類に恵まれていたので、新たな漁業に注がれるようになりました。 「にしんルネサンス事業」は、「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の市町村に「にしん街道」の標柱を設置することにより、往時の繁栄された頃の... | |
住所 | 島牧郡島牧村字千走11番地1 |
旧花田家番屋 | |
住所 | 留萌郡小平町字鬼鹿広富35番地の2 |
せたな町(瀬棚区) | |
ここ瀬棚も「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつであります。 明治二十年前後、瀬棚の「にしん」の全盛時代には、春の漁期になると若者の大半が漁場雇となり、また、他の町から瀬棚の漁場へ出稼者が大勢やってきて鰊の沖揚げなどの仕事をしました。 この頃、「にしん」を追うように瀬棚への移住者も多くなり、鰊漁も盛んであったため、町はたいへん活気にあふれていました。 「にしんルネサンス事業」は、「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結び「にしん街道」の旅道中を楽しませてくれます。 松前を始点とし、北の彼方... | |
住所 | 久遠郡せたな町瀬棚区三本杉96番地 |
上ノ国町 | |
松前の伝説の中に、「大蔵鰊」という名高い伝説があります。 その昔、上ノ国に大蔵郷という行方堅固な山伏が住んでいました。ある年、五月になってもニシンが群来しないので、村人はこの山伏に頼んで祈祷をさせました。すると、山伏の祈りが通じたのか上ノ国の前浜は大漁に沸いたそうです。 しかし、村人たちは大漁になったとたん群来は自然のものと難癖をつけたので、山伏は怒りのあまり食物をたって死んでしまいました。翌年、ニシンは江差に群来しましたが、上ノ国には群来せず、祟りもあったので村人は恐れて、山伏を神として祀ったそうです... | |
住所 | 檜山郡上ノ国町字上ノ国236番地 |
岡田番屋 | |
住所 | 北海道苫前郡苫前町字苫前27番地 |
旧余市福原漁場 | |
住所 | 北海道余市郡余市町浜中町150 |
鰊御殿とまり | |
住所 | 北海道古宇郡泊村大字泊村59−1 |
旧笹浪家住宅 | |
住所 | 北海道檜山郡上ノ国町上ノ国 |
せたな町(大成区) | |
“クドウ初鰊群来る大漁” ここ、せたな町大成区(旧大成町)も「にしん」で栄えた町の一つであります。 天明三年(今から二二四年前)の春三月「にしん」の漁期になると、松前、江差、乙部、熊石からヤン衆が漁場の親方の家へわんさとやって来て、鰊漁の準備に入りました。 「にしん」の到来を今か今かと誰もが沖を眺めて待っており、「にしん」が到来すると、各村一斉ののろしの合図で出漁しました。各村から一斉に漁場をめがけ、舟を漕ぎ出す壮観さは、美事の一語につきました。 「にしん」の声が巷に聞こえるようになると、町で... | |
住所 | 久遠郡せたな町大成区平浜378番地 |
小樽鰊御殿 | |
住所 | 小樽市祝津3丁目228 |