ここ泊村では、今から三百年程前(江戸時代)より「にしん漁」が始められ、明治中期より大正末期までは「にしん」の千石場所として栄え、村の発展に大きく寄与しました。
最盛期は泊村に五十を超える魚場があり、「にしん」の建網九十二ヶ統、網元が個人で作ったミニ漁港(袋澗)もおよそ四十ヶ所在ったといいます。一ヶ統に要する人数が四十人程度ということから、東北の各地から働き手である「ヤン衆」が相当数来て、泊の浜も大変な賑わいだったようです。
春にまると、「群来」という浜言葉があるように、海を埋め尽くすほどの大量のニシンが岸近くまで押し寄せ、産卵のために海の色が一面乳白色に変わり、そこに群れ飛ぶカモメ、波間を渡るヤン衆のキリ声、浜ではモッコを背負う人の波・・・と、壮大なドラマが繰り広げられました。
ここに、松前を始点とし、北の彼方まで「にしん漁」で栄えた日本海沿岸の市町村に「にしん街道」の標柱を設置しようという「にしんルネサンス事業」の一環として、また、往時を偲ぶ文化遺産を後世に引き継ぐとともに、地域の活性化を繋げる証として、この標柱を設置しました。
設置月日 平成二十一年七月吉日
設置者 泊村観光協会