並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
江差町(道の駅「江差」敷地内) | |
海道日本海沿岸においては、北前船の交易によって大きく繁栄し、十八世紀半ばのにしん漁最盛期には多くの廻船問屋や土蔵が連ねて建ち並び、「江差の五月は江戸にもない」と言われ、歴史と今に伝わる数々の郷土民芸や建造物をこの地にもたらしました。 そこで、今一度、日本海沿岸の市町村を支えた「にしん」に歴史・文化等多方面からもスポットをあて、新たな産業や観光資源の創出を目的に、各町で「にしんルネサンス事業」が展開されております。 このため、「にしん」に関係した日本海沿岸の市町村全体に「にしん街道」の標柱を設置することに... | |
住所 | 檜山郡江差町字尾山町1番地 |
島牧村 | |
ここ島牧は、江戸時代から明治末期まで「にしん漁」で栄えた北海道日本海沿岸のまちのひとつです。 鰊建網及び刺し網を使用し、漁期雇人(ヤン衆)も千九百人を超えるなど、「にしん漁」の好況は村の繁栄にも深く関わりました。 やがて、大正期に入ると「にしん漁」は衰退していきますが、この「島牧」は、地理的な関係から他の魚介藻類に恵まれていたので、新たな漁業に注がれるようになりました。 「にしんルネサンス事業」は、「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の市町村に「にしん街道」の標柱を設置することにより、往時の繁栄された頃の... | |
住所 | 島牧郡島牧村字千走11番地1 |
上ノ国町 | |
松前の伝説の中に、「大蔵鰊」という名高い伝説があります。 その昔、上ノ国に大蔵郷という行方堅固な山伏が住んでいました。ある年、五月になってもニシンが群来しないので、村人はこの山伏に頼んで祈祷をさせました。すると、山伏の祈りが通じたのか上ノ国の前浜は大漁に沸いたそうです。 しかし、村人たちは大漁になったとたん群来は自然のものと難癖をつけたので、山伏は怒りのあまり食物をたって死んでしまいました。翌年、ニシンは江差に群来しましたが、上ノ国には群来せず、祟りもあったので村人は恐れて、山伏を神として祀ったそうです... | |
住所 | 檜山郡上ノ国町字上ノ国236番地 |
せたな町(大成区) | |
“クドウ初鰊群来る大漁” ここ、せたな町大成区(旧大成町)も「にしん」で栄えた町の一つであります。 天明三年(今から二二四年前)の春三月「にしん」の漁期になると、松前、江差、乙部、熊石からヤン衆が漁場の親方の家へわんさとやって来て、鰊漁の準備に入りました。 「にしん」の到来を今か今かと誰もが沖を眺めて待っており、「にしん」が到来すると、各村一斉ののろしの合図で出漁しました。各村から一斉に漁場をめがけ、舟を漕ぎ出す壮観さは、美事の一語につきました。 「にしん」の声が巷に聞こえるようになると、町で... | |
住所 | 久遠郡せたな町大成区平浜378番地 |
旧花田家番屋 | |
住所 | 留萌郡小平町字鬼鹿広富35番地の2 |
岡田番屋 | |
住所 | 北海道苫前郡苫前町字苫前27番地 |
旧余市福原漁場 | |
住所 | 北海道余市郡余市町浜中町150 |
鰊御殿とまり | |
住所 | 北海道古宇郡泊村大字泊村59−1 |
泊村 | |
ここ泊村では、今から三百年程前(江戸時代)より「にしん漁」が始められ、明治中期より大正末期までは「にしん」の千石場所として栄え、村の発展に大きく寄与しました。 最盛期は泊村に五十を超える魚場があり、「にしん」の建網九十二ヶ統、網元が個人で作ったミニ漁港(袋澗)もおよそ四十ヶ所在ったといいます。一ヶ統に要する人数が四十人程度ということから、東北の各地から働き手である「ヤン衆」が相当数来て、泊の浜も大変な賑わいだったようです。 春にまると、「群来」という浜言葉があるように、海を埋め尽くすほどの大量のニシンが... | |
住所 | 古宇郡泊村大字泊村59番地1 |
旧笹浪家住宅 | |
住所 | 北海道檜山郡上ノ国町上ノ国 |