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岩内町 | |
ここ岩内では、江戸時代から明治末期まで、主なる海産物は「にしん」でした。 明治三十五年には、岩内郡の沿岸、雷電から泊・臼別まで「にしん」の定置漁場が一〇二ヶ統ありました。 「にしん漁」の好況は町の繁栄にも深く関わりました。 やがて、大正期に入ると、「にしん漁」は衰退していきます。しかし、優れた加工技術が備わっていたので、それを生かし、「にしん」を移入しての加工となりました。 現在も海外から「にしん」を取り入れ、絶えることなく続けられています。岩内は「ミガキにしん」の生産高は全国で高い位置を占めています。... | |
住所 | 岩内郡岩内町清住5番地3 |
岡田番屋 | |
住所 | 北海道苫前郡苫前町字苫前27番地 |
奥尻町 | |
ここ奥尻は、「にしん漁」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつです。 明治十四年ころ以降約十年間に飛躍的な伸暢を遂げ、最も活気に満ち、漁期雇夫(ヤン衆)も数百名を数えるなど、「にしん漁黄業金時代」を現出しました。 鰊漁は主として、建網及び刺網を使用し二十年代になると角網が使用され始め、鰊の漁獲高は一層増加しました。 やがて「にしん漁」は衰退していきますが、この「奥尻島」は、四方が海に囲まれ地理的な関係から他の魚介藻類に恵まれていたので、新たな漁業に力が注がれるようになりました。 「にしんルネサンス事業」は... | |
住所 | 奥尻郡奥尻町字奥尻 |
せたな町(大成区) | |
“クドウ初鰊群来る大漁” ここ、せたな町大成区(旧大成町)も「にしん」で栄えた町の一つであります。 天明三年(今から二二四年前)の春三月「にしん」の漁期になると、松前、江差、乙部、熊石からヤン衆が漁場の親方の家へわんさとやって来て、鰊漁の準備に入りました。 「にしん」の到来を今か今かと誰もが沖を眺めて待っており、「にしん」が到来すると、各村一斉ののろしの合図で出漁しました。各村から一斉に漁場をめがけ、舟を漕ぎ出す壮観さは、美事の一語につきました。 「にしん」の声が巷に聞こえるようになると、町で... | |
住所 | 久遠郡せたな町大成区平浜378番地 |
せたな町(瀬棚区) | |
ここ瀬棚も「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつであります。 明治二十年前後、瀬棚の「にしん」の全盛時代には、春の漁期になると若者の大半が漁場雇となり、また、他の町から瀬棚の漁場へ出稼者が大勢やってきて鰊の沖揚げなどの仕事をしました。 この頃、「にしん」を追うように瀬棚への移住者も多くなり、鰊漁も盛んであったため、町はたいへん活気にあふれていました。 「にしんルネサンス事業」は、「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結び「にしん街道」の旅道中を楽しませてくれます。 松前を始点とし、北の彼方... | |
住所 | 久遠郡せたな町瀬棚区三本杉96番地 |